極端な話、名前があればキャラなんて後からいくらでもついてくる。どこまで一般的に言えるのかはわからないけれど、少なくとも僕の場合は、そうである。- 「ザレゴトディクショナル―戯言シリーズ用語辞典」(西尾維新)
なんかいつの間にか季節はフロレアールですね。1ヶ月ちょいぶりに更新再開してみるテスト。
あまり無理しても疲れちゃうから、まあ毎日ぶんとかは無理しないことにします。日記書くのに何時間もかけてたりしたからなー。
最近考えたこと、というとえーっと。
もう2日前になりますが、shovさんと会ってお話する機会がありました。
きらら周辺の話をしたんだけれど、その中で出た話題でも幾つか書いておきますか。といっても記憶も曖昧だし家に帰ってから考えたこともがしがし付け加えているのであんまそれっぽくない感じですが。
(shovさんの発言については本人から差し止めが入ったので、ほぼ僕の話したことだけですが了承ください)
「あっちこっち」(異識)に俯瞰のコマが多いね、という指摘を受ける。
その場の思いつきで「つみきの背が極端に低いからじゃん?」と返答してみたら結構受けがよかった。いぇーい。
えっと、どういうことかというと。
まず、キャラを可愛くするために極端に身長を低く描く、という手段が有効だ、というのは前提として。
では単純に低くすればオールハッピーかというとそうもいかなくて、4コマだと、コマの形が決まっているから、目線の高さからみたコマで身長差を出そうとすると難しい(たとえば、つみきが頭しか写っていないコマというのが幾つかあって、それはそれでもちろん可愛いんだけれど、なぜそういうことになるかというと伊御とつみきの身長差だと2人をコマの中におさめるパターンが足りないから)。で、俯瞰を利用することでより大きな身長差を描くことができると。
あ、ちなみに、(この話題に限らないけれど)このとき手元にはきらら本誌最新号しかなかったので、資料的な裏付けはあんまないから注意してね! 先月号みてみたら全然そんなことないよ、みたいな指摘はしてくれたら感謝するけど、責任はとるつもりないからね!(サイアク)
絵が上手くなったからといって背景をちゃんと描き出すのは悲しいという話。
「ゆゆ式」がキャラの配置(遠近法)に気を配っていたり、あと「キルミーベイベー」も昔はこんな背景描いてたっけ。やすなは昔の方が可愛かった、といっている人が結構いるらしい。
shovさんは「ゆゆ式とか、三人の関係性の力学によって三人の位置が決まるのだから、写実的な遠近法を無批判に採用するのはよろしくない(かなり意訳)」とか言っていた。
画面が白いことは悪いことだとか思っているやつは何なんだろうね、とか。
僕はweb漫画を見て回っていた時期とかもあってブラウザマジック全開な絵が大好きなんですけれど、ということでそういう考え方は限定的なものに過ぎないと全セカイは知るべきだと思っていて。
いや勿論、描き込むことで魅力が増すことは非常に広くみられることだと思いますけれど、というか僕もそういうので好きな作家はいっぱいいますけれど、でも、それがすべてではないでしょう?
描き込み厨とかどうやったら駆逐できるんだろうなー。
白雪しおんトーク。
「―そら―」2巻のキャッチコピーがすごい。「学校みたいな職場で楽しい青春」。shovさん曰く、詩的な表現なしにゆとりを表現できるようになったのでこれは前進、とのことだけれど、いや……普通にホラーじゃない?
なぜ「―そら―」は打ち切られたのか。
「ROM-レス。」は元カノという関係があった。そこに関係の緊張があった。さらに同じ顔のコンピュータ・ガールがいるわけで、なんというか、まあ普通にあいつらマジ恐ろしい関係ですけど、恐らくそこが「ROM-レス。」の面白さを支えていた。
「にこプリトランス」もそうで、といったらshovさんに「というか白雪しおん自身が、登場人物の半分が男性という時点で既にかなり特異な作品だと言っていたしね」と指摘されたのだけれど、確かにそうで、それは勿論カップルという関係のため。あの話でも曖昧に置き去りにされた関係というのが出てきていて(騎士とヤミ、生徒会長さんとお姉さん)、あるいはバカ様のカップル成立あたりの話を引き合いに出してもいいのだけれど、やっぱりそういうところで緊張感というのがあった。
翻って「―そら―」はというと、ソラは街にやってきたばかりの女の子で、それ以外にも置き去りにされた関係とか緊張感とかいうのはあまり描かれていなくて、だから白雪しおんの良さを発揮しきれなかったのではないか、と。その観点からいけば、「レンタルきゅ〜と」も結構厳しいのではないかと不安が。