■ notes / Brumaire an CCXVIII




 そこで、魔女裁判を異端審問として正当化することが、いいかえれば、「魔女」が「異端者」であることの証明が、教会当局にとって必要、かつ重要な課題となった。この課題を解決する役割を引受け、それをもっとも見事に果したのが『魔女の槌』であった。同書がその冒頭においてこの問題を取り上げたのはもっともなことであった。この新書版に邦訳するとすれば一〇〇〇頁を越えるであろう『魔女の槌』の三分の一をそれに当てた第一部の長々しい論証によって確立された結論は、「魔女は悪魔と盟約を結んで悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術を行なうことができる」ということだった。
 ここにおいて魔女は「明らかな異端を伴なう」どころか、「異端者の中でも極悪の異端者」となった。「他の異端には悪魔との結託ということはない。魔女の異端の忌まわしさは、この悪魔と人間との汚らわしい関係にある。」魔女は、魔女が行なった刑事犯的な「行為」のためではなく、その行為以前の「悪魔との結託」という、キリスト教的な「魂の堕落」のために裁かれることになるのである。だから、魔力によってたとえ善行を行なった「白い魔女」といえども、その行為以前の悪魔との契約によって「異端者」であり、焼かれねばならぬ、というのが神学的常識となった。

- 「魔女狩り」(森島恒雄)


◆CCXVIII年霧月11日

 どっちかってと創作とか連鎖とかテクニックとかそういうのが見えている時期なので評論ちっくなのが読みたい人には申し訳ありません(←「評論とかマジでどうでもいい」とは僕が常に言っていることですが。2次創作サイコウ)。
 最近のブームは、「最強のラノベを書く方法を考える」です。

 あ、で、ちょっと前に疑問で心配になったので確認なんですけど、Kanon問題とかいま言っている人は当然、傑作ラノベというかリアル呪いの書・「生徒会の一存」(葵せきな)の事を念頭において喋ってるんですよね?
 いやもうちょっと前からこの作品について思考が止まらなくてですね。転校問題について期限付き先延ばしを解決として扱うとか、クロスオーバーキャラ(真儀瑠先生)と主人公が裏で問題を解決しちゃうとか、本当に邪悪すぎるほど正確ですよね……。
 合コン話は「人格的に優れている = "キャラクタ"に近い」というすげえ価値観の主張なのではないか、とか(いやもう全面賛成ですが)。

 ちょうど2年くらい前に某氏が「葉鍵ルネサンスですよ!」とか言ってて、正直なところ、「ハァ? 具体的な勝利へのロードマップがちっとも見えないんですが?」とか思ったのですが、「生徒会の一存」みてるとほんとに葉鍵ルネサンスを叫びたいなーって思う。えっと、「葉鍵板」というときの葉鍵であって、ゲームのことではない。ゲームのことは、勿論どうでもよくはないが、二の次。
 別の道としては「ドラマガルネサンス」もあるか。しかし、僕は洗練=植民地化を前提として色々考えているので、そこらへんは90年代精神がどうとか言っている人々にお任せしたい気分です。


◆CCXVIII年霧月12日

 こーいう記事は既にあるのですが、別の角度から。

 僕が月読絵空/esoratとして文章を書くときには、如何に人間から離れてキャラクタになるか、というのを第一の問題にしていて、ここで文章を書いている肉体が月読絵空である、というモデルは採っていないし、だから逆に言えばネット上で僕の書いた文章はどのように扱われようがどんなツッコミを入れられようが全然オッケーだし、仮にネタにされようがアレな妄想の対象になろうが、極端な話、幼女化されて陵辱SSをアップされようが、別にそれはそれでそういうものでアリとは思うのですが(虐殺とかはさすがに勘弁かしら……)、ただ、逆にリアルでの言動について月読絵空/esoratとしては責任を取りきれないというか、一応結構ギリギリなところで個人情報とかコントロールしているので、他愛のなさそうなことでも一応ネット上に僕のリアルでの行動について書くときには事前に連絡してくれると嬉しいかなーとか、まあtwitterとかでネタにされているのは大抵キャラクタとしての僕の強度を上げようみたいな発想に基づくネタpostが多いから別にいいですし、実際素敵なpostとか多くて嬉しいこともあったりするのですが、あと、僕自身日記の更新をサボっていて代わりに書いていただけるのはありがたいんですけれど、なんか最近そういうのが多くて、なんか微妙に危ないかな、とか思ったりもするので、その、仮にprotectedだったりすると確認も出来ないですし。
 もう一度繰り返すと、Internet上の文章は100%月読絵空/esoratの書いたものだけれど、リアル発言は月読絵空/esoratのものとしては完全に扱いきれる訳ではないし、だから「この文章を書いている人の裏」みたいなものは想像してほしくない(そういうのを抜きにしたところで信頼関係を構築したい)のです、みたいな。「飲み会の現前性に対抗しなくてはならない」、というのと同じですね。

 飲み会の現前性から最も離れた場所にあるのもまたある種のネットストーカーであり、「届け! この恋するキモチ!」的なもののはずじゃないかなー、とか妄想していたりするのです。


◆CCXVIII年霧月23日

 僕は批評家気取りの痛い子なのではなくプロデューサ・編集者気取りの痛い子なのだ、という事実が正しく認識されていない気がするぞ。

 「少女の空想庭園+」(cosMo × 真優)を聴いた。
 あは。あは。あははははは。
 うん。
 もう何も書く必要ないですね、僕。

 アルバム曲では「ループする初恋」と「ストーリィ×テラー」が白眉だと思いました。というか僕の考えている問題系そのまんま(で、当然表現力や演出力は7兆倍)。


◆CCXVIII年霧月24日

同じ時空間に存在できないとしても
ワタシたちには物語がある 確かにつながってる

- 「ストーリィ×テラー」(cosMo × 未優)

 そういう視界。


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